核情報

2005.2.17

NPT再検討・延長会議

NPT条約10条の規定に従い、発効から25年たった1995年に条約の延長と運用状態について議論するためにニューヨークで開かれた会議。 会議は三つの文書を同時に無投票で採択するという形で条約の無期限延長を決めた。

の三つである。

(1)は、五年に一度の再検討会議の準備会議を会議の三年前から二週間ずつ開き、これまでのように会議運営のプロセスだけでなく、内容についても検討すると決めた。

(2)は、核兵器国の軍縮の努力を初めとする条約の実施状況を検討する際の判断基準を定めたもので、その中で、CTBTの遅くとも一九九六年中の締結、兵器用の核分裂物質生産禁止協定の早期締結、核兵器の廃絶を最終目的とする核削減に向けての体系的・積極的努力などが約束された。

(3)は、条約の無期限延長支持が過半数に達しているので、(1)と(2)が同時に採択されたことに留意しつつ、条約を無期限に延長することを決めるとの内容である。過半数は存在するが、コンセンサスには達していないため、投票になれば対立が明らかになり条約の政治的力が弱まるという状況で、議長のダナパラが、無期限延長反対派に対し、支持派が過半数に達しているという事実を受け入れて無期限延長を無投票で決めるよう求めたのである。この案を呑みやすくすべく用意されたのが(1)と(2)である。さらに、イスラエルの核に関するアラブ諸国の主張を一部受け入れて、名指しすることを避けながらも、「保障措置の下に置かれていない核施設の中東における継続した存在に懸念を持って留意する」『中東に関する決議』が採択された。

 コンセンサスを思わせるような無投票で延長が決まりながら、その直後に約一〇カ国が無期限延長反対の意見を表明したのは、このような事情による。

 核軍縮の立場からいうと、条約の無期限延長を望む核保有国に対し、「条約を無期限延長あるいは長期延長したければ、会議開催までにこれこれを達成するように」という要求を、会議のずっと前に突きつけて、受け入れさせるのが理想的だった。ただし交渉は相手のあることで、このようなやり方がうまく行くとは限らない。実際、一九九一年に部分核停条約を全面的核実験禁止条約に変えようという試みがなされたさい、ブッシュ政権は、NPTと核実験を行う権利のどちらかをとれというなら、後者をとるとの立場を表明している。今回の会議の第一回準備会議(九三年)で非同盟諸国グループは、非公式の文書を提示して、その中で延長の条件をあげている。その内容は、CTBT、核兵器の質的改善と量的増大の禁止、先制不使用協定、外国の領土への配備の禁止、全般的かつ完全な核廃絶の期日の合意などだったが、どれも会議までに達成されることはなかった。

 会議では、核保有国を初めとする無期限延長派が、有利な立場にあった。長い間無条件・無期限延長反対の立場をとっていた非同盟国が一致した立場をとれなかったことが大きな原因である。会議が始まった後、四月二五日〜二七にバンドンで開かれた非同盟会議でも、合意に達することはできなかった。これは一つには、経済援助に絡ませた核保有国の圧力による。

 このような中で、核兵器を開発・製造しておきながら、自らこれを放棄して、非核保有国として一九九一年にNPTに加盟した南アがユニークな役割を果たした。南アの動きに詳しいワシントンの「科学・国際安全保障研究所(ISIS)」のトム・ザモラ・コリーナによると、南アの副大統領は、米国のゴア副大統領に会議一週間前に書簡を送り、その中で、再検討会議の過程を強化すること、そして核不拡散・軍縮のいくつかの原則での採択を提案した。そして最後に単純過半数による決定は、NPTを弱体化すると述べた。四月一九日に南アはこの案を会議で発表した。

 非同盟国の有力メンバーとして無期限延長の立場をとると見られていた南アが態度を変えたのは、米国の圧力のためだとの見方もある。ワシントン・ポストによると、米国の駐南ア大使は、三月一〇日、NPTに関する歓迎できない態度は、南アの「非拡散の資格」についての判断に影響を与えると忠告した。南アは、核技術の輸出国のグループ「供給国グループ」への参加を申請しており米国はこれを支持していた。だが南アの外相は自国の利益が米国のそれと一致しただけだという。「南アは、その核兵器を破壊しNPTの加盟国になる決定をした。我々の安全が、NPTの条項によって保障されていると見たからだ。」期限付き延長にした場合、その後NPTが破棄されることを恐れたのである。

 また会議の直前に、南アの提案に似たものを発表していたISISが南アの案を書いたのだとの憶測もある。だが、コリーナはいう。「一九九四年に南アフリカのANCのメンバーのためにワークショップを開いて、核拡散問題について説明した。これにNPT会議に南アを代表して出てきたミンティも参加した。その意味では、ISISは役割を果たしたが、ISISが南アの文書を書かせたというようなものではない。」

 ダナパラは、約二〇カ国のグループを組織した討議の中で南ア案に肉付けしていって最終案をまとめあげた。非同盟国の立場の弱さが最終案に出ている。南アは、九五年中のCTBT交渉の終了、九六年の調印を義務づけることを提案したが、九六年中の締結に変わった。また、メキシコは、CTBT発効まで実験の停止を要求したが、これは、実験に際して「最大限の自制」をする義務に変わった。それで、中国は、延長決定後三日目に核実験を行い、中国はいつも「最大限の自制」をしているといい、フランスも、九六年の条約締結に向けて、同年五月末までに八回の実験を行うと発表することができたのである。

*田窪雅文『全面的核実験禁止条約の成立に向けて』月刊社会党1996年4月号より


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