2月4日、パキスタンの核開発の父と呼ばれるA・Q・カーン博士が、テレビにでて、「報告されている核拡散に関連した活動の多くが実際に起きた」と認め、それは、自分の要請で起きたことだと述べました。(出典)
自分の行動は、「よかれと思ってやったことだが、誤っていた」とし、「この件で役割を引き受けてくれた私の部下は、私と同じく、よかれと思って、私の支持に従い行動していた」と説明しました。また、「これらの活動について、いかなる政府の高官も、許可を与えたということは決してないということをはっきりさせておきたい」とも述べています。
彼の経歴を簡単にまとめておきます。
出典:スティーブ・ワイスマン/ハーバート・クロスニー共著『イスラムの核爆弾』(日本経済新聞社1981年刊)
グローバル・セキュリティーのページ
- 1936年
- ボパール(当時英領インド)で生まれる。
- 1960年代初め
- ドイツの技術系大学に留学
- 1963−67年
- オランダのデルフト工科大学で冶金学専攻
- 1972年
- ベルギーのルーベンにあるカトリック大学で博士号取得
オランダ、アムステルダムのFDO社(特殊エンジニアリング)に就職
(デルフト時代の同級生が冶金部門の責任者)
FDOは、ベレニグデ・メタルファブリケン・ワークスプールの子会社で、英独仏のウラン濃縮合弁会社ウレンコに主要機器を納入 - 1972年5月8〜9日
- ウレンコ社アルメロ工場に初めて訪問
その後、ウレンコ社の分離機用特殊冶金開発に関わる
その過程で関連文書の翻訳に従事。設計図や納入会社の情報も得る。 - 1974年
- インド第一回核実験
スパイ活動に入る? - 1975年 8月
- パキスタンがウラン濃縮計画に乗りだした徴候
(ブリュッセルのパキスタン大使館が高周波変換器についてオランダの会社に問い合わせ) - 1975年10月
- 経済省が、カーンを分離器関係以外の部門に移すようFDO社に要請
- 12月15日
- 妻ヘニー(南ア出身)、娘二人とともに旅に。
- 1976年3月1日
- FDO社を公式に辞職
- 7月31日
- ラワルピンジーで工学研究所設立(ERL:ウラン濃縮技術確立が目的:その後小型ウラン濃縮プラントをイスラマバード東南数キロのシハラに、大型実用プラントをシハラ近くの小村カフタに作る。)
- 1981年5月1日
- ERL、A・Q・カーン博士研究所(KRL)と名称変更
- 1998年5月
- パキスタン、インドの核実験に対応する形で核実験(ウラン爆縮型)
- 2001年3月
- 米国の圧力で出されたムシャラフ大統領の命令で退職
参考: *ISISのデイビッド・オルブライトが入手したKRLのビラ(ブリティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ誌(2003年3/4月号に掲載)
ウラン濃縮計画から生まれた機器類の販売用:ビラにでている機器類の中には、多くの国では機微な技術と見られ厳しい輸出規制の対象となるものが少なくないとオルブライトは言う。