12月22日、IAEAのエルバラダイ事務局長は、「来週、上級専門家チームとともにリビアを訪れる」と発表しました。19日にリビアが化学・生物・核兵器計画を放棄すると発表したのを受けてのことです。リビアは、イスラエルにも同様の措置をとるよう呼びかけています。リビアの核計画に関する情報はあまりないのですが、簡単な年表と地図を載せました。
リビアは、2003年3月半ばに英国に接触し、英米との交渉を始めました。そして、化学・生物・核兵器関連の計画についての情報を両国に提供し、19日の公の発表となりました。リビアは、また、IAEAの抜き打ち査察を可能にする追加議定書の調印の用意があると発表しています。さらに、射程300キロメートル以上、搭載重量500kg以上のミサイルを廃棄すると約束しています。(ホワイトハウスのブリーフィング─英文)1988年のパンナム機のスコットランド上空での爆発・墜落事件後、国際的な孤立状態におかれてきたリビアは、近年、容疑者の引き渡しに応じるなど、西側諸国との和解の道を探っていました。英米によるイラク攻撃がどの程度今回の決定に影響を与えたかは定かではありません。
12月20日にリビアはウイーンでエルバラダイ事務局長に10年以上前からウラン濃縮能力の開発に取り組んできたと告げています。(IAEAプレスリリース─原文:2003年12月22日)それには、天然ウランや遠心分離器・転換機器の輸入、そして、パイロット規模の遠心分離設備の建設(すでに解体)などが含まれるとのことです。IAEAとの保障措置を結んでいるリビアはこれらについて報告する義務があったのですが、その義務を果たしていませんでした。リビアが遠心分離器を持っていたことは、IAEAにとっても英米にとっても驚きでした。しかし、リビアの核兵器計画は「初期段階にあり生産施設は作られておらず、ウランの実際の濃縮も行われていない」とリビア側はエルバラダイ事務局長に語ったとのことです。実際、10月と12月にリビアで10カ所以上の核関連施設を訪れた英米のチームは、数個の遠心分離器を見ただけです。パイロット・プラント規模でも、何百台もの遠心分離器が必要です。
これからIAEAは、リビアの核開発の歴史・現状を確認し、その計画の放棄を見届けることになります。1990年代初めに南アフリカの核兵器計画の放棄を確認した経験を持っています。南アは、この過程で6個のウラン型核兵器(と1個の製造途中のもの)を解体し、計画全体を放棄しました。
リビアの宣言によって、同国の計画を把握できていなかったIAEAの限界が再確認された格好ですが、リビアの決断がイランやイスラエルを含む中東の核問題全体の解決をもたらすことになるかどうか、注目されます。
リビア大量破壊兵器関係略年表
出典:主として、カーネギー国際平和財団のDeadly Arsenals 、「米国科学者連合(FAS)」のスタッフを長年務めたジョン・パイクの主宰するNGOグローバル・セキュリティーのホームページ、「モントレー国際研究所(MIIS)」の「不拡散研究センター(CNS)」の情報を参考にした。
核兵器関係
- 1969年
- NPTに署名
- 1970年
- 中国から核兵器購入を画策? 未遂
- 1973年2月21日
- イスラエルの核施設ディモナ上空に計器の故障で迷い込んだリビアの旅客機をイスラエル空軍機が撃墜。104人の乗員・乗客が犠牲に。
- 1974年
- アルゼンチンと原子力協力協定 (ウラン探鉱と濃縮でアドバイス)
- 1975年
- NPT批准
- 1977年
- パキスタンに核兵器計画の協力を求め接触?
- 1978年
- インドと原子力協力協定
- 1979年
- Tajoura(トリポリの南西約10マイル)で旧ソ連提供の研究炉(熱出力10メガワット:軽水冷却・減速プール型:高濃縮ウラン(80%)を使用)提供
- 1980年
- IAEAと保障措置協定
- 1983年
- Tajoura原子力研究センター(TNRC)設立
- 1984年
- ベルギー、原発への協力を最終的に拒否(米国の圧力)
- 1986年
- 旧ソ連、44万キロワットの原発9基提供の計画中止
- 1988年
- パンナム機爆破 (スコットランド・ロッカビー上空で爆発・墜落。270人死亡)
- 1989年
- アフリカ・ニジェール上空でフランス旅客機爆発・墜落 170人死亡
- 1992年
- 国連制裁措置 パンナム機爆破に関して
- 1996年
- アフリカ非核兵器地帯条約署名(他の42カ国とともに)
- 1997年
- ロシア、原子力協力で交渉開始
- 1998年
- ロシア・アトム・エネルゴ・エクスポルト社、Tajoura原子力研究センターの部分的改修で契約
- 1999年
- パンナム機爆破事件容疑者を国連代表に引き渡す
- 1999年
- 国連制裁措置中断
- 2001年
- 包括的核実験禁止条約(CTBT)署名
- 2003年3月
- 英国に米国との仲介を要請
- 2003年9月
- 国連安保理制裁措置の正式解除
- 2003年10月及び12月
- 英米査察官リビア訪問
- 2003年12月19日
- すべての化学・生物・核兵器を放棄と発表
- 2003年12月20日
- 核関連計画の査察計画についてウイーンでIAEAと交渉開始
- 2004年1月6日
- 化学兵器禁止条約(CWC)加盟
- 2004年1月19日
- 包括的核実験禁止条約(CTBT)批准
- 2004年3月10日
- IAEAとの保障措置協定の追加議定書に調印
化学兵器関係
- 1987年
- 南側隣国チャドに対しイラン製マスタード爆弾使用?
- 1988年
- Rabtaの化学製造工場Pharma-150完成
- 1990年
- Rabtaの化学製造工場Pharma-150閉鎖
- ?
- Sebhaの化学製造工場Pharma-200建設継続? トリポリの南650キロ
- 1996年
- Tarhunaの「世界最大の地下化学兵器工場」Pharma-300(ジョン・ドイッチCIA長官)(トリポリの南東約60キロ)2000年までに完成との米国側情報
同工場建設中断との報道
生物兵器関係
化学兵器よりも情報が乏しい。化学兵器関連工場が関係していると見られている。
リビア大量破壊兵器関連施設地図
各施設のポイント、地名をクリックすると、グローバル・セキュリティーのサイトにあるそれぞれの衛星写真などのページを開く、クリッカブル・マップ。リンク先の写真の多くはさらに大きな写真へのリンクになっています。
関連リンク
- リビアから引き渡し、核開発関連機器を米が初公開 (読売新聞記事)
- オークリッジにリビアの核兵器物質さらに (地元紙・英文・ 5枚)
- 遠心分離機:米がリビア所有の同型機器の部品を公開 (毎日新聞記事)
- リビア:核開発のプラントに日本製装置使用(毎日新聞記事)