これまで日本核武装に反対する立場を明確にしてきた自民党の石破茂政調会長が、「核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべき」ではないとSAPIO誌10月5日号で主張しています。氏は、これまで日本が核武装を決断してNPTを脱すると、核燃料が輸入できなくなると述べてきました。そうすると結局「核か原発か」の選択となるのではと問われると、「バックエンドたる核サイクルも未だ展望が見えていないため、そのような二者択一になる」と答えています。つまりは、氏が語っている潜在的核抑止力は、高速増殖炉の商業利用によりプルトニウムが「純国産燃料」となると夢見られている2050年後以降のことでしょうか。
石破氏は、「核の潜在的抑止力」について2011年8月16日の「報道ステーション」でも語っています。
以下、石破発言の意味について検討した後、同氏他の各種発言の抜粋を載せておきます。
石破発言の意味
疑問点
石破氏の発言から、いくつかの疑問が生じます。
- この見解は、自民党政調会長としてのもの、つまりは、自民党のものか。これまで、自民党は、潜在的核抑止力を念頭に、原子力発電、とりわけ、ウラン濃縮、再処理、高速増殖炉開発などを推進してきたということなのか。菅元首相が「原発に依存しない社会」の実現を目指すと述べたとき、それは、個人の考えか内閣の考えかと激しく問われた。元防衛相・現政調会長の発言について、以前の自民党内閣・現在の自民党の政策との関係が質されないのはなぜか。
- 「核兵器の製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持する」とした1969年の外務省文書『わが国の外交政策大綱』との関係は?
- 鈴木篤之日本原子力研究開発機構理事長が原子力新大綱策定会議(第1回)会合(2010年12月21日, pdf)において「どこの国も原子力を単なる普通のエネルギー技術としては見てないようであります。どちらかというと、エネルギーセキュリティを超えた国の安全保障の一環としてとらえてい る国が多いのではないでしょうか。この国の安全保障から見た原子力の位置づけをできれば今度の大綱ではご議論いただきたいと思います」と述べたこととの関係は?日本原子力研究開発機構は、事故続きの高速増殖原型炉もんじゅの開発に責任を負う。理事長は、高速増殖炉開発が果たす潜在的核抑止力としての役割の重要性を主張したかったのか。
- 石破氏は、高速増殖炉の商業的導入の時期をいつと見ているのか。「バックエンドたる核サイクルも未だ展望が見えていない」間は、「核か原発かの二者択一」となるという。つまりは、潜在的核抑止力を持ち得ないということだ。プルトニウムを燃やしながら、燃やした以上のプルトニウムを生み出す無尽蔵のエネルギー源となるはずの「夢の高速増殖炉」が商業的に導入される時期になれば、軽水炉用の低濃縮ウランの入手について悩むことなく核兵器と原発の両方を選択できるようになる、つまりは、潜在的核抑止力が実際のものとなるということだろう。それはいつのことか?
- 核武装のデメリットは、ウラン禁輸措置だけだと石破氏は主張しているのか?
高速増殖炉問題と石破氏のこれまでの主張との関係
石破氏は、これまで日本は核武装などできないとの主張をしてきています。例えば、2011年2月19日の産経新聞掲載のインタビュー でも、日本が核武装するとなると、「核拡散防止条約(NPT)は当然脱退することになり、(原子力発電用の)核燃料がわが国に入らなくなり、電力は4割ダウンする」と述べています。だから核武装すべきでないとの立場です。となると、潜在的核抑止力維持のための原発などといっても、実際には核武装などすべきでないし、できない,つまりは、潜在的核抑止力などないことになります。
それで、SAPIO編集部は、「(核武装を決断して)NPTを脱すると、核燃料が止められてしまい、原発も動かせません。結局は、「核か原発か」の二者択一になってしまうのでは?」と聞いた訳です。
石破氏は、これに対し、「それは今後の『原発』のあり方にもよる」とし、高速増殖炉を含む核燃料サイクルが実現できれば、核も原発も選べるようになるとの主張と見られる答えを提示しています。
なお高速増殖炉のブランケット部分(プルトニウム製造用部分)で産み出されるプルトニウムは、プルトニウム 239 の含有量が極めて高く、核兵器の材料として適したものです。これは原型炉でも作れるものですが、石破氏が述べているのは、これとは直接関係のない話です。石破氏は、核武装を宣言すると軽水炉用の低濃縮ウランの燃料供給を外国から即座に止められる可能性を強調した上で、外国からの供給に頼らなくてすむようなバックエンド体制・核燃料サイクルが実現できれば、原子力利用と核武装の両立が可能となり、潜在的核抑止力が持てるようになると言っているようです。つまり、潜在的抑止力は、高速増殖炉が商業規模で導入されて初めて可能になるということになります。
リアリストの夢物語
その高速増殖炉商業導入は、原子力委員会の長期計画では、1961年には、1970年代とされていましたが、最新版の2005年原子力政策大綱では「経済性等の諸条件が整うことを前提に、2050年頃から商業ベースでの導入を目指す」となっています。当初予定から70年以上の遅れが生じているのです。しかも、現在の2050年導入計画が予定通り進む保証は全くありません。石破氏は、楽観的見通しでも、2050年頃までは実現されないことが確実な、高速増殖炉の商業的導入の時点で獲得できるかもしれない潜在的核抑止力の話をしているのでしょうか。
リアリストとされている政治家が40年先に達成されるかもしれない潜在的核抑止力の話と現在の抑止力を混同してしまっているのでしょうか。リアリストのはずの石破氏がこの夢物語的潜在的核抑止論を唱える状況は、高速増殖炉についての情報が自民党中枢に届いていないということ意味しているのかもしれません。
経済性もなく危険な上、核拡散のリスク伴うこれらの技術に固執する政策を今こそ見直すべきだと訴えるフランク・フォンヒッペルらの主張(右に簡易表示)を自民党に届ける必要があるようです。
核武装の他のデメリットはどうなったのか?
石破氏は、例えば上述の産経新聞のインタビューで、燃料問題に加えて、次のようなデメリットを挙げています。
「米国の核抑止は信用ならない」という議論になること。核兵器の実効性を確保するための実験をする場所を見つけるのが難しいこと。外交関係で非常に難しい問題を惹起すること。日本が脱退して核を持つと、他の国も持ちたいとなり、核兵器を管理できない国家やテロ集団に核が渡る可能性がさらに高まること。
これらの問題はどうなったのでしょうか。日本が核武装しようとすれば、国際社会の日本に対する圧力はウランの禁輸措置だけに留まらないだろうということは、石破氏自身が主張してきた通りです。潜在的核抑止論が現在のNPT体制に与える悪影響も見逃せません。原発は潜在的核抑止力のためだとの議論を今展開し、結果的に他国にも潜在的核抑止力のための原子力・核燃料サイクル維持・導入を促すことが日本の国益だと石破氏や自民党は考えているのでしょうか。
発言抜粋
石破茂 自民党政調会長
原発のウェートを減らしていきながら、再生可能エネルギーのウェートを高めていくという方向性に異存はありません。ですけども、原発をなくすべきということを目標とするやり方には賛成してはおりません。原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。ですけども、日本は核を持つべきだと私は思っておりません。しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですかということは、それこそもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、私は放棄すべきだとは思わない。なぜならば、日本の周りはロシアであり、中国であり、北朝鮮であり、そしてアメリカ合衆国であり、同盟国でるか否かを捨象して言えば、核保有国が日本の周りを取り囲んでおり、そして弾道ミサイルの技術をすべての国が持っていることは決して忘れるべきではありません。
私は核兵器を持つべきだとは思っていませんが、原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという「核の潜在的抑止力」になっていると思っています。逆に言えば、原発をなくすということはその潜在的抑止力をも放棄することになる、という点を問いたい。・・・
私は日本の原発が世界に果たすべき役割からも、核の潜在的抑止力を持ち続けるためにも、原発を止めるべきとは思いません。・・・
核の基礎研究から始めれば、実際に核を持つまで5年や10年かかる。しかし、原発の技術があることで、数ヶ月から1年といった比較的短期間で核をもちうる。加えて我が国は世界有数のロケット技術を持っている。この二つを組み合わせれば、かなり短い期間で効果的な核保有を現実化できる。・・・
[(核武装を決断して)NPTを脱すると、核燃料が止められてしまい、原発も動かせません。結局は、「核か原発か」の二者択一になってしまうのでは?]
それは今後の「原発」のあり方にもよるでしょう。わが国は、核燃料というフロントエンドは外国に頼り、バックエンドたる核サイクルも未だ展望が見えていないため、そのような二者択一になる。だから、今までのところ、「絶対に軍事利用しない」という条件の下で、IAEAの厳格な査察を受け入れながら原発を進めてきた。日本の核抑止力が「潜在的」である所以です。
出典 SAPIO 2011年10月5日号
「核の潜在的抑止力」を維持するために私は原発を止めるべきとは思いません。
[日本が核武装することの]デメリットは『米国の核抑止は信用ならない』という議論になることだ。核兵器の実効性を確保するための実験をどこでするのか、という非常に高いハードルもある。加えて、核拡散防止条約(NPT)は当然脱退することになり、(原子力発電用の)核燃料がわが国に入らなくなり、電力は4割ダウンする。外交関係で非常に難しい問題を惹起することも覚悟しなければならない。
確かに、NPT体制は『核のアパルトヘイト(人種隔離政策)』だといわれるほど、(米、露、英、仏、中の)5カ国だけに核保有を認める不完全な体制だ。だが、日本はそれを承知の上で入っている。日本が脱退して核を持つと、韓国も、台湾も、フィリピンも、インドネシアも(持ちたい)、となる。世界中が核を持つのは今のNPT体制より良いか、といえば、そうではない。核が今以上に拡散すれば、核兵器を管理できない国家やテロ集団に核が渡る可能性はさらに高まる。持つメリットと比較考量すべきだ。
鈴木篤之 日本原子力研究開発機構理事長
原子力ですから、安全性や核不拡散が重要なことは言うまでもございません。これらの問は、通常のエネルギー技術と違って、国内問題にとどまらず、国際的次元でも考えなければならないという宿命が原子力にございます。したがって、どこの国も原子力を単なる普通のエネルギー技術としては見てないようであります。
どちらかというと、エネルギーセキュリティを超えた国の安全保障の一環としてとらえてい る国が多いのではないでしょうか。この国の安全保障から見た原子力の位置づけをできれば今度の大綱ではご議論いただきたいと思います。
出典 原子力政策新大綱策定会議(第1回) 2010年12月21日(pdf)
読売新聞
日本は、平和利用を前提に、核兵器材料にもなるプルトニウムの活用を国際的に認められ、高水準の原子力技術を保持してきた。これが、潜在的な核抑止力としても機能している。
首相の無責任な言動には、こうした配慮がうかがえない。
出典 社説 核燃サイクル 無責任な首相の政策見直し論 8月10日
日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。
首相は感情的な「脱原発」ムードに流されず、原子力をめぐる世界情勢を冷静に分析して、エネルギー政策を推進すべきだ。
出典 社説 エネルギー政策 展望なき「脱原発」と決別を 9月7日
外務省 外交政策企画委員会 1969年9月25日
核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器の製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないよう配慮する。又核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発することとし、将来万一の場合における戦術核持ち込みに際し無用の国内的混乱を避けるように配慮する。
参考
- 「核の傘はないよりまし」石破茂自民党政調会長 産経新聞 2011.2.19
- 自民・石破氏 「核攻撃を受けたら核開発」発言の真意を語る NEWS ポストセブン 2011.09.15
- 石破茂氏 「核の潜在的抑止力」維持のため原発続けるべき NEWS ポストセブン 2011.09.21
- 石破 茂、清谷 信一 軍事を知らずして平和を語るな ベストセラーズ (2006/10) p.176
- 石破 茂、小川 和久 日本の戦争と平和 ビジネス社 (2009/5/21) p.284
- 原発への攻撃、極秘に被害予測 1984年に外務省 朝日新聞 2011年7月31日
- 市村孝二巳 「核燃料サイクルは破綻している」今こそ再処理を考え直す時 日経ビジネス 2011年7月7日
当時、経済産業大臣を務めていたのは、故・中川昭一氏だった。中川氏は自民党の政務調査会長となった2006年、北朝鮮の核実験を受け、非核三原則を前提としながらも、日本の核保有について「議論は大いにしないといけない」と発言し、物議を醸した。
生前、中川氏に聞いたことがある。プルトニウムを含む核廃棄物を再処理する工場を日本国内に置く意義がある、と。ある経産官僚も「中川氏は、いわゆる『潜在的核保有論』による抑止力を意識していた」と述懐する。日本が核燃料サイクルを続けていれば、いつでも核兵器を作れる、という潜在能力を暗示することになる、ということだ。中曽根康弘元首相から連綿と連なる自民党の保守勢力には、どうしても核燃料サイクルを推進したいという政治的思惑があったのだ。
- 田窪雅文(「核情報」主宰) 原子力か否か?日本のポスト・フクシマのエネルギー政策の複雑で不確かな力学 ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ誌 日本語版 2011年9月13日
- 田窪雅文(「核情報」主宰)日本の原子力政策と核拡散─核燃料再処理の核拡散抵抗性と必要性 軍縮研究 vol.2 2011年4月(pdf)
宇野長官のいうとおり、再処理で取り出されたプルトニウムは、高速増殖炉で使うためのもののはずだった。高速増殖炉は、発電しつつ、使用した以上のプルトニウムを作り、無尽蔵のエネルギー源となるという「夢の原子炉」だ。1956年以来原子力委員会がほぼ5年ごとに発表してきた『原子力の研究、開発および利用に関する長期計画』を見ると、この高速増殖炉の実用化時期がだんだんと遠ざかっていることが分かる。1956年に「わが国の国情に最も適合」する原子炉とされた高速増殖炉の実用化の予測は、1961年には、1970年代、1967年には1985─90年、1972年には1985─95年、1978年には、1995─2005年、1982年には2010年、1987年には、2020年代から2030年、1994年には2030年、2000年には「柔軟かつ着実に検討」となり、最新版の2005年原子力政策大綱では「2050年頃から商業ベースで導入」となっている。
ゼノンのパラドックスでは、亀を追いかけるアキレスは目標に近づき続けるが、日本の「夢」は遠ざかり続ける。1995年にナトリウム火災事故を起こした原型炉「もんじゅ」は、2010年5月に運転再開したが8月に原子炉容器内で燃料交換用装置の落下事故を起こし、運転再開のめどは立っていない。「2050年代に実用化」などといっても、これだけ先の話なら誰も責任を取らなくていい、という程度にしか受け取りようがない。予定通り実現されたとしても、第1回の長期計画発表の時点からすると100年後、宇野長官の発言の時点から見ても18年ではなく、73年あったということになる。いずれにせよ、この間、高速増殖炉開発が日本経済にとって死活問題でなかったこと、世界経済のロコモティブとしての日本の成長に関係がなかったことだけは、確かだ。