「中距離核戦力(INF)」全廃条約が破棄されたのを受け、米科学者連合(FAS)のハンス・クリステンセンとマット・コルダが死亡告知記事を載せました。了解を得て訳出しました。
❝米ロ両国が『中距離核戦力条約(INF)』の下でのそれぞれの義務履行停止を発表してから6カ月、条約は今日、公式に死亡となった。米科学者連合(FAS)は、この歴史的かつ重要な条約の消滅をもたらしたロ米両政権による無責任な行動を強く糾弾する。❞
INF条約、今日公式に死亡
2019年8月2日
ハンス・クリステンセン マット・コルダ
米科学者連合(FAS)
原文:The INF Treaty Officially Died Today
米ロ両国が「中距離核戦力条約(INF)」の下でのそれぞれの義務履行停止を発表してから6カ月、条約は今日、公式に死亡となった。
「米科学者連合(FAS)」は、この歴史的かつ重要な条約の消滅をもたらしたロ米両政権による無責任な行動を強く糾弾する。
米国務省のウェブサイトの「責任は向こうにある」式表明において、マイケル・ポンぺオ国務省長官は、ロシアが条約で禁じられている射程の地上発射巡航ミサイルを実験・配備することによって条約に違反したとの非難を繰り返した。「米国は、ロシアが意図的に違反を犯した条約の加盟国であり続けることはない」と長官は述べている。
INFを脱退することにより、トランプ政権は、ロシアに対して順守状態に戻るよう法的及び政治的に圧力をかけることを放棄してしまった。同政権は、外交力ではなく、米国自身のINF対象ミサイル開発によって軍事的圧力をかけることの方で頭がいっぱいのようだ。
1987年に署名されたINF条約は、射程500~5500kmの地上発射ミサイルを禁止し、廃棄することによって、核の脅威を劇的に減らし、軍拡競争を32年間に亘って安定化させるうえで重要な役割を果たしてきた。廃棄されたミサイルは合計2692基に上る。同条約は、プーチン及びトランプ両政権による無謀な行為がなければ、米ロの核の緊張関係を緩和する効果を無期限に持ち続けることができたはずだ。
ロシアが条約に違反していると米国が最初に公に主張したのは、2014年7月の条約順守報告書においてのことだ。報告書は、ロシアが「500km~5500kmの射程能力を持つ地上発射巡航ミサイル(GLCM)を所有、製造、あるいは飛翔実験せず、そのようなミサイルの発射装置を所有あるいは製造しない」との義務に違反したと述べている。ロシアは、最初、米国の主張を否定し、何年も、そのようなミサイルは存在しないと繰り返した。しかし、米国が公に、問題のミサイルは9M729(NATO側呼称SSC-8 )と明らかにすると、ロシアはその存在を認めたが、同ミサイルは「条約の規定に完全に従っている」と述べた。米国は、ロシアは9M729を固定発射装置と移動式発射装置の両方で飛翔実験を行うことによってごまかそうと試み(1)、 4個大隊に100基近くのミサイルを配備していると主張している。
我々は、これには16基の発射装置と64基のミサイル(プラス・スペアー)がかかわっていると見る(Russian nuclear forces, 2019(pdf))。恐らくは、 エランスキー、 カプスティン・ヤール (すでに恒久基地に移動している可能性も)、モズドック、 及び シュヤのイスカンデル「短距離弾道ミサイル(SRBM)」部隊と一緒に配備されている可能性が高い。ほかにも大隊が配備されている可能性があるが、定かではない。
ロシアは、2007年の時点ですでにINF条約に違反することを決めた可能性もある。条約を多国間化しようとするロシアの国連での提案が失敗に終わったときだ。基礎作業がさらに前に始まった可能性もある。プーチンによると、新しい軍拡競争は実は2002年に始まったという。ブッシュ政権が「弾道弾迎撃ミサイル(ABM)」制限条約から脱退した時のことだ。プーチンは、ABM条約を米ロの軍備管理体制の根幹と見ていた。
一方、ロシアは、米国こそ本当の違反者だと応じた。例えば、ヨーロッパ配備の米国のミサイル防衛用発射装置はINF違反ミサイル発射用に使うことができると述べている。「米議会調査局(CRS)」は、詳細な報告書で、ロシアの三つの非難すべてが間違っていると論駁している(Russian Compliance with the Intermediate Range Nuclear Forces (INF) Treaty(pdf))。
どちらがINFに違反したにせよ、条約を破棄するとのトランプ政権の決定は、間違った行動だ。トランプが最初に条約脱退の意向を発表した際にブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ誌で指摘した通り(Trump falls on sword for Putin’s treaty violation)、脱退は、米国(恐らくは条約に違反していない)とロシア(恐らくは違反)との間に間違った道徳的同等性を作ってしまう。脱退はまた、核態勢の見直しNuclear Posture Review(pdf)のような米国自身の主要な政策文書や昨年の公のステートメント──外交的、経済的及び軍事的措置によってロシアを順守状態に戻すとすることを強調したもの──と矛盾する立場に米国を置いてしまう。
要するにこういうことだ。誰かが法律を犯した場合、その法律を破棄すべきではない。破棄してしまうと、違反者に対し、その行動の責任を取らせる可能性がなくなってしまうからだ。もし、最終的目標が、条約の順守状態に戻るようロシアをなだめすかすか、そう強いることであるなら、条約の破棄では、明らかに、それを達成できない。破棄してしまうと、逆に、ロシアは合法的に、INF対象ミサイルをもっと配備できるようになる。
脱退の決定は、長期的戦略思考に基づくものではなく、イデオロギーに基づくもののようだ。ジョン・ボルトン国家安全保障担当大統領補佐官──タカ派の「軍備管理シリアル・キラー」──の意見が大統領に重視されていることから来たものなのだろう。軍事的タカ派が調子を合わせて、中国のINF射程のミサイルが条約の対象外になっている(元々そうだ)ことに警鐘を鳴らし、米国の新しいINF射程のミサイルを太平洋に配備せよと提案した(2)。
いまや、我々は、核軍備管理がまったくない時代に突入する瀬戸際に立たされている。INFは消滅し、唯一残った条約──新START条約──が危機にさらされている。米ロが配備することのできる戦略核兵器の数を制限し、重要な検証手段とデータ交換を提供する極めて重要な条約だ。同条約はペンを走らせるだけで、簡単に、2021年2月の失効日を超えて延長できるが、ジョン・ボルトンは、それは「ないだろう」とひどい調子で述べている。そして、ロシア側高官も、延長の問題点について言及し始めている。新STARTを失効させることは、米ロの核の制限の最後の砦を放棄し、新しい無制限の軍拡競争への道を開くことを意味する。
議会は、新STARTを延長するようトランプ大統領を説得するためにできる限りのことをしなければならない。
訳注
- (1)
ダニエル・コーツ国家情報長官は、2018年11月28日の記者会見で、次のように説明している。
INF条約は、禁止された射程の地上配備ミサイル・システムを全て禁止しているが、固定発射装置からミサイル実験をすることは、そのミサイルを地上配備する意図がない限り、許している。例えば、ミサイルを艦船や航空機に配備する場合だ。
条約のこの条項を念頭に、ロシアは、最初、9M729──地上発射ミサイル──の飛翔実験を、固定発射装置から、500kmをはるかに超える距離まで行った。ロシアは、その後、同じミサイルを、移動式発射装置から、500km未満の射程で実験した。
二つのタイプの実験を合わせることで、ロシアは、INF条約の禁止する中距離射程まで飛び、地上移動式発射装置から発射するミサイルを開発することができたのだ。
ロシアは、恐らく、INF条約で禁止されていない他の巡航ミサイルの同時平行開発──同じ場所から飛翔実験──及び配備が、INF違反の十分な隠れ蓑になると考えたのだろう。違反を巡る米ロの論争については、以下が詳しい。
小泉悠 「ロシアが極秘開発!『新型巡航ミサイル』」『軍事研究』2019年8月号 - (2)
中国とINF脱退の関係についてクリステンセンらは、2018年10月に次のように述べている。
INF条約から脱退するとの決定は、ロシアの違反よりも、中国がこの条約に入っておらず、すでに相当数の中距離ミサイルを製造していて、これらが西太平洋において米国を不利な状態に置いている(と主張されている)ことの方が大きく関与しているとの見方が一部の人々の間でポピュラーになっている。このような見方をする人々の間でよく挙げられるのが、ハリー・ハリス元太平洋軍司令官(海軍大将)が昨年[2017年]議会で行った証言だ。中国の地上発射ミサイルの「90%以上」がINF射程のものであり、「中国その他の国々の巡航ミサイル、地上発射ミサイルに対応する我々の能力に制限を設けるINF条約は、問題だと私は考える。」中国の状況がどのような意味を持つかは、まだ、はっきりしない 。米国の最善の対応がどのようなものであるべきかとなるとなおさらだ。しかし、ハリスでさえこう述べている。「私は、この条約の核の制限の部分を理由として条約から一方的に脱退するよう唱えることは決してしない。」
これまでのところ、米軍は、中国の野心的なミサイル・プログラムへの対応として、海洋発射のトマホークと空中発射のJASSM-ERを中心として構築することを選んでいる。どちらも、INF条約で禁止されておらず、また、地理的な制約を受けない。グアムを除くと、米国は、西太平洋に大した領土を持っていない。グアムは中国の海岸から3000kmのところにあり、中国内部のINF発射装置からだとさらに遠い。軍事計画者らは、常に、攻撃能力が多いことを好むが、 セルバ統合参謀本部副議長(空軍大将)は、ハリス海軍大将の懸念を否定し、議会でこう証言した。「中国内のターゲットを脅威にさらすことができないと主張するのに、INF条約を理由として使うか否かということについては、『遠すぎた橋』(映画のタイトル:無謀なこと)と言うべきだと思う。航空機や艦船にミサイル・システムを配備することでこれらのターゲットを脅威にさらすことができると断言できると私は考える。」実際、彼は、上院軍事委員会のメンバーに対する文書による回答において、次のように説明している。「INFの順守のために、現在満たすことの出来ない軍事的要件は存在しない。INF条約の対象となっている射程にあるターゲットを攻撃する軍事的要件は存在するが、それらの攻撃力は地上発射である必要 はない。」出典: Trump falls on sword for Putin’s treaty violation October 29, 2018