核情報

2019. 5.28

日本の再処理政策を支持した米駐日大使
──日本での議論の欠如を反映?

ワシントンD.C.の米国非営利団体「国家安全保障アーカイブ(NSA)」が2月12日、レーガン政権の初期の2年間(1981-82年)において日本のプルトニウム政策に関連した議論がどのようになされたかを示す文書類を公開しました。その中にカーター政権が任命し、レーガン政権でも続投が決まったマイク・マンスフィールド駐日大使がレーガン大統領とアレクサンダー・ヘイグ国務長官に宛てたものがあります。1981年1月26日付のこの電文で大使は、オイルショックのような「石油供給停止に対する脆弱性を持つとの日本の認識」を尊重し、東海パイロット再処理工場の運転と六ヶ所再処理工場の建設を認めるべきだと述べています。

大使の主張がどの程度の影響をレーガン政権に与えたかは分かりませんが、1987年にまとまった新日米原子力協力協定(88年発効)は、日本による再処理を事前に認める「包括的事前同意」を与えるものとなりました。1968年の元の日米協定では、米国起源の使用済み燃料の日本国内での再処理と外国への輸送は個別に米国が同意することが必要とされていました。

元々、米国は、早期にウランが枯渇するとの想定に基づき、使用済み燃料から再処理でプルトニウムを取り出し、それを燃やしながら燃やした以上のプルトニウムを生み出す高速増殖炉の開発を推進していました。ところが、インドが1974年に、米国の協力の下に推進された高速増殖炉計画で分離されたプルトニウムを使って最初の核実験を行います。77年に登場したカーター政権で実施された再処理政策見直しの中で、ウラン枯渇想定の間違いが指摘され、政策が変更されます。

1970年代の予測:ウラン枯渇⇒高速増殖炉が支配的に

上の図にあるように、1974年の米原子力委員会(AEC)の予測では、2010年には米国だけで原子力発電容量が100万キロワット級原発2300基分となり、高速増殖炉がその3分の2を占めるというものでした。2018年現在の米国の原子力発電容量は100基分、高速増殖炉はゼロというのが現実です。
 
カーター政権は、東海再処理工場の運転を開始しようとしていた日本にも計画放棄を呼びかけます。日本側はこれに猛反発します。1977年3月16日の衆議院予算委員会で宇野宗佑科学技術庁長官は再処理を「民族の死活問題」と呼び、米国が主張している再処理の「3年間凍結」は、「1990年代の実用化を目指して」いる高速増殖炉の予定を狂わせ「将来への死活問題である」と述べています。この時、日本の政策を尊重するよう訴えたのが就任したばかりのマンスフィールド駐日大使でした。

大使の2本の電文

マンスフィード駐日大使からカーター政権のサイラス・バンス国務長官に宛てた1977年7月12日付けの電文は次のように始めています。

私はこのポストについてから数週間にしかならないが、貴方に直接のメッセージを送るに足る一つの政治的問題が米日間にあることはいまや明らかだ。つまり、両政府の前にある核燃料再処理問題だ。この問題を解決しようとの試みは、極めて重要な局面に達していると私は考える。今後とられる行動は、妥協──核不拡散面での懸念とエネルギー需要のバランスをとり、再処理問題が両国の全体的な関係という文脈において対処されることを保証する妥協──を至急成立させなければ、両国の将来の関係に重大な悪影響をもたらしうる。

冒頭で触れたレーガン政権宛ての電文(1981年1月26日付け)には次のようにあります。

石油供給停止に対する脆弱性を持つとする日本の認識は、これまでにも増して日本の国内及び外交政策のあらゆる面に影を投げかけるようになりそうだ。…我が国のエネルギー政策の相当の変更を意味することになるだろうが、我々が出来るだけ早く除去すべき日本にとっての頭痛の種があると私は考える。何かというと、干渉されることなく、使用済み燃料の再処理のために東海村パイロット再処理工場を運転し、この目的のためにさらに大きな工場を建設したいという日本政府の希望だ。原子力を平和目的のためだけに使うという長年の日本のコミットメント、それに、我が国の核不拡散の取り組みに対する支持を考慮すれば、この点に関する日本の希望にもっと前向きに対応しない理由はないと私は考える。

このような大使の判断をもたらした日本側の主張を現在の状況と比べて見ると、米国側は現実離れした日本の夢物語につき合わされたと言わざるを得ません。日本国内での議論が不十分だったことが判断に影響を与えた可能性があります。日本は、六ヶ所再処理工場を2021年に完成させようとしています。今こそ、上記のような歴史について振り返り、再処理政策について議論すべき時です。

初出 平和フォーラム/原水禁・News Paper 2019. 3

関連資料

マンスフィード駐日大使からバンス国務長官宛てた電文 1977年7月12日

再処理問題と将来の米日関係

1.私はこのポストについてから数週間にしかならないが、貴方に直接のメッセージを送るに足る一つの政治的問題が米日間にあることはいまや明らかだ。つまり、両政府の前にある核燃料再処理問題だ。この問題を解決しようとの試みは、極めて重要な局面に達していると私は考える。今後とられる行動は、妥協──核不拡散面での懸念とエネルギーの必要とのバランスをとり、再処理問題が両国の全体的な関係という文脈において対処されることを保証する妥協──を至急成立させようとしなければ、両国の将来の関係に重大な悪影響をもたらしうる。

2.日本政府は、その決定的国益(vital interests)に対して、現在の両国の経済面での相違などからは生じないような形での影響を与えるものと見ている。その理由は、大使館が過去数ヶ月に亘って分析・報告してきたとおりだ。日本の高官らが、米国は次のような点を理解していないと主張している──エネルギー面で日本が置かれた尋常ではない窮状、核エネルギーを平和利用のためだけに使うとの日本のコミットメント、それに、米日原子力協力協定に関連した西欧諸国との間の日本の差別扱い。私は、このような不協和音の一部は最近の選挙戦から来るものと見ているが、この問題については日本人の間に広範な合意が存在しており、さらに、そこには、政治的レベルでの次回交渉ラウンドが迫るなかで注意を払うべき、そして、注意深く、また、思慮深く対処すべき実際の根拠がある。

・・・

4.東海の将来に関する現在の交渉局面は、共同技術報告書という形で結論に到ろうとしている。この報告書は、7月12日頃両政府に提出される予定である。・・・日本は、元々の計画に何らかの変更を加える用意はあると私は確信している。ただし、繰り返して言う、ただし、プラントが機能し始める迄に数年間の延期をしたり多額の資金を支出したりするとの約束を日本がしないですむとしてである。・・・

6.・・・さらに、何十年もの間、日本人は、驚くほどほとんど例外なく、エネルギー供給の保証を、生き延びるために不可欠essential to survivalとみなしてきた。日本人は、現在、原子力と国内再処理を、彼らの将来のエネルギーの必要を満たすうえで、必須の要素indispensable elementsと見なしている。この基本的懸念に耳を貸さなければ、彼らは、我が国とのパートナーシップの性格について疑問を持つようになり、世界的な経済や北東アジアの安全保障に関する共通の目標に悪影響が及ぶことになると私は信じる。・・・

7.私は、貴方に、妥協についての技術的基礎を提供するような立場にはない。これは、両国の専門家らに任せたい。しかし、以下については、私はこれ以上ないほど強い意見を持っている。第一に、妥協は、日本側の疑心が続くような形でない二国間同盟を維持するためには必須であり、日本側のポジティブな支持を促すために最善である。第二に、妥協は早急に成立させなければならない──最大でも、極めて短い複数月のうちに。それより長くぐずぐずしていると、両国の立場を硬化させてしまうだろう。第三に、この妥協は、東海プラントができるだけ早く、何らかの形で運転されることを許すものでなければならない。第四に、米国がプルトニウムの再処理を世界中で止めることに成功しない場合にはこのプラントを商業的再処理目的のために運転するというオプションを維持することを日本に認めなければならない。・・・

*電文右肩にあるカーターによる手書きメモ

「Cy[サイラス・バンス]へ

マンスフィールドに、私が個人的に妥協的決定を促進すると伝えるように。そのことを彼が福田に伝えてもいい。早急に幾つかのオプションを私に提示するように。JC」

ブレジンスキー大統領特別補佐官からカーター大統領に宛てたメモ 1977年8月13日

SUBJECT:

日本の再処理
東海決定

背景

マンスフィールド大使は、東海再処理プラントを米日間の最大の政治的問題としている。彼は、妥協──我が国の不拡散についての懸念と日本のエネルギーの必要のバランスをとるとともに、ヨーロッパ諸国と比べて日本が差別されていると受け取られる可能性を残さない形でのもの──が見いだされなければ米日関係の将来に深刻な悪影響をもたらすだろうと考えている。

これを日本の「死活(life and death」問題と公に呼んでいる福田首相は、貴方との間で、東海を2度取り上げ、「ホット」試験を早期に始めることが彼の政権にとって持つ政治的重要性を強調した。マンスフィールドは、既に、貴方が個人的にこの問題についての妥協的決定を促進するとの貴方のメッセージを福田に伝えてあり、福田は、これに謝意を表明している。

東海は、再処理に反対する我が国の全般的な立場の例外と映ることは必至である。従って、鍵になる問題は、如何にして我が国の不拡散の目的に対するダメージをできるだけ少なくする形で例外を作るかである。これらの目的からすると、技術的オプションのどれも、あまり良くない。最善のオプション──共処理(coprocessing)──は、不拡散の面で有望とみなされていない方向に進むよう日本に強要することになる。不拡散の目的に対するダメージが限定できるかどうかは、いかなる技術的解決策であろうとそれにどのような政治的処置が伴うかにかかっている。

・・・

技術的オプション

米日専門家チームが14の技術的選択肢alternativesについて検討した。その費用は2億5000万ドルから22億ドルに到るものである。貴方の決定のためにオプションを用意するに当たり、このグループは、非常に高いコスト(及び/あるいは)プラントの運転開始の長期的延期を伴うものをすべて除去した。

三つの全般的オプションが検討された(Tab A及びBのサイ・バンスのメモ)。どれも、東海において、本質的に実験的で、そして、生産量及び期間を限定した運転を行うものである。

オプション1:東海をIAEAの先進的保障措置プログラムの実験台として利用することを認める。東海プラントは限定的な量の米国起源の燃料を使って実験的に運転される。

・・・

オプション2:計画通りの様式での再処理のために東海施設の運転開始を認める。ただし、使用済み燃料の量を限定的なものとする。さらに、後に両国が同意できる形で本格的な共処理(Coprocessing)の実験を行うとの同意を日本から得る。

--このオプションは、日本が予定通りの様式で東海を運転することを可能にする。運用可能性を実証し、プラントの設計と安全性を検証し、これによって、[フランス側からの]契約上の保証を確保するためである。この段階の在来型の再処理は、使用済み燃料約70トンに限定する。

--東海プラントでの一つあるいはそれ以上の共処理方式に関する実験を行うため予備的な研究開発作業が「運転試験設備(OTL)」で即座になされることになる。米国チームは、技術的に実行可能と見られる幾つかの明確な共処理方式を見いだしている。

--日本は、コストと遅れが過度でない限り、恐らく、この案を受け入れ可能とみなすだろう。このオプションは、東海プラントの早期の運転開始を許可する。また、プラントの設計を実証し、西ドイツその他のEC諸国と比べた差別的扱いの感覚を最小限にすること、そして、新型炉の研究開発計画を中断なく続けることを可能にする。東海での共処理の実施は、「燃料サイクル評価(INFCE)」に貢献するだろう。

--しかし、日本は、さらなる研究やINFCEの結果に関係なく大幅な変更を実施するとの確実な約束をすることに抵抗するかもしれない。我々は、このような拘束力を持つ約束を日本側から取り付けることを追求するが、合意に達するためには、INFCEあるいは東海での予備的実験作業により共抽出が我が国の拡散防止上の懸念と関係なくなったと示された場合を想定して免責条項を入れる用意があるべきである。

--この案の採用は、もちろん、限定された期間、プルトニウムの分離を許可することを意味する。しかも、共抽出自体は、核拡散抵抗性を高める上で重大な追加的ステップとは広くみなされていない。

--選択されるプルトニウムとウランの割合によって、このオプションのコストは、債務コストを計算に入れると、2億4100万〜3億8000万ドル、除くと8700万ドル〜1億6800万ドルになる。このコストは、我々が日本にプルトニウムの輸入を助ける用意があれば、下がる(4900万ドル〜8500万ドルに)だろうが、このコースの影響についてはさらなる検討が必要である。

--このオプションは、プラントの運転開始前に、再処理と共抽出の保障措置の比較実験ができるように、新型保障措置器機が設置できれば、さらに強化できる。しかし、それは、追加的コスト(1500万ドル)を必要とし、オプション1と比べ、遅延(最高6ヵ月)をもたらす。このオプションが選ばれた場合には、これらの追加的要素を追求すべきだが、不可欠な要件としては提示すべきでない。

オプション3:米国起源の燃料を東海において、実験的な共処理(coprocessing)のためだけに使用することを許可する。

・・・

政治的検討事項

貴方がどの技術的オプションを選ぶかに関わらず、我が国の不拡散面での国益に対するダメージを限定するために以下に略述した6つの政治的措置が必要である。これらは、どのオプションをとるにせよ、我が国の立場の基礎を築くだろう。日本に以下を要請すべきである。

・・・

--東海でのプルトニウム分離に関連したいかなる作業も、最新型原子炉開発用の実際のプルトニウムの必要を満たすために行うこととし、これを回収プルトニウムの使用の唯一の目的とすること。

・・・

--我が国とINFCEの結果と、多国間のオルターナティブ及び使用済み燃料貯蔵の可能性についても協議すること

・・・

提言

私は、貴方がオプション2を選択されるよう提言する。

3.世界経済のロコモティブ[牽引車]としての高速増殖炉

上述のブレジンスキー大統領補佐官の書簡にあるとおり、マンスフィールド駐日大使は日本の使用済み燃料再処理問題で、「妥協が見いだされなければ米日関係の将来に深刻な悪影響をもたらすだろう」と考えていた。マンスフィード駐日大使からバンス国務長官に宛てた1977年7月12日付けの電文がそのことを示している。電文は次のように始めている。

「私はこのポストについてから数週間にしかならないが、貴方に直接のメッセージを送るに足る一つの政治的問題が米日間にあることはいまや明らかだ。つまり、両政府の前にある核燃料再処理問題だ。この問題を解決しようとの試みは、極めて重要な局面に達していると私は考える。今後とられる行動は、妥協──核不拡散面での懸念とエネルギー需要のバランスをとり、再処理問題が両国の全体的な関係という文脈において対処されることを保証する妥協──を至急成立させなければ、両国の将来の関係に重大な悪影響をもたらしうる」

このような判断をもたらした日本側の主張を現在の状況と比べて見ると、米国側は現実離れした日本の夢物語につき合わされたと言わざるを得ない。

『資源小国日本の挑戦-日米原子力交渉物語-』(核燃料サイクル問題研究会編、日刊工業新聞社、1978年)によると、1977年3月8日、ギリンスキーNRC委員とローレンス・シャインマン国務次官付上級原子力補佐官の訪問を受けた宇野宗佑科学技術庁長官は二人に対し、次のように主張したという。
 「カーター大統領も言われるとおり、世界経済にとって、わが国は、アメリカ、西ドイツと並ぶロコモティブ(牽引車)の一つである。このロコモティブが、ロコモティブであり続けるためには、今後とも6パーセント台の成長を続け、世界経済に貢献していかなければならない。むろんエネルギーがその成長を支える根源であるが、日本にはこのエネルギー資源がない。だからわれわれは、ウランの利用効率を高めるため、高速増殖炉の解決をしている最中だ。その計画に水をさされては、わが国はロコモティブの役割を果たすことはできない。
 日本が純国産としてのエネルギーを持つためには、再処理をメインとする核燃料サイクルの確率が必要である。その再処理施設建設のため7年の歳月と500億円の費用をかけた。(大臣室の窓から見える国会議事堂を指しながら)その再処理施設は、あの国会議事堂と同じ大きさだ。しかも、そこには400人の人が働いている。人権外交を唱えるカーター政権が、まさかその人達の職を奪うようなことはありますまいね」

宇野長官は、同年3月16日の衆議院予算委員会では次のように述べている。
「仰せのとおり、まさに民族の死活問題でございます。従いまして、再処理問題に関しましては、先方は3年間凍結をしたいというふうな意向を井上原子力委員長代理に伝えたのでございますが、なんといたしましてもそれではわが国の核燃料サイクルの確立はできません。プルトニウムを原料とする高速増殖炉は1990年代の実用化を目指しておりますが、後18年あるから3年間待てと向こうは言うかもしれませんけれども、その間に次々と開発並びに技術の積み重ね、そしてまた試験もやって行かなくちゃなりませんから、今年からホットランに入ります再処理工場で生産されたプルトニウムは18年間要るわけであります。さような意味合いにおきましても、3年間待つということは、まさに我々の将来への死活問題である」

宇野長官のいうとおり、再処理で取り出されたプルトニウムは、高速増殖炉で使うためのもののはずだった。高速増殖炉は、発電しつつ、使用した以上のプルトニウムを作り、無尽蔵のエネルギー源となるという「夢の原子炉」だ。1956年以来原子力委員会がほぼ5年ごとに発表してきた『原子力の研究、開発および利用に関する長期計画』を見ると、この高速増殖炉の実用化時期がだんだんと遠ざかっていることが分かる。1956年に「わが国の国情に最も適合」する原子炉とされた高速増殖炉の実用化の予測は、1961年には、1970年代、1967年には1985-90年、1972年には1985-95年、1978年には、1995-2005年、1982年には2010年、1987年には、2020年代から2030年、1994年には2030年、2000年には「柔軟かつ着実に検討」となり、最新版の2005年原子力政策大綱では「2050年頃から商業ベースで導入」となっている。

ゼノンのパラドックスでは、亀を追いかけるアキレスは目標に近づき続けるが、日本の「夢」は遠ざかり続ける。1995年にナトリウム火災事故を起こした原型炉「もんじゅ」は、2010年5月に運転再開したが8月に原子炉容器内で燃料交換用装置の落下事故を起こし、運転再開のめどは立っていない。「2050年代に実用化」などといっても、これだけ先の話なら誰も責任を取らなくていい、という程度にしか受け取りようがない。予定通り実現されたとしても、第1回の長期計画発表の時点からすると100年後、宇野長官の発言の時点から見ても18年ではなく、73年あったということになる。いずれにせよ、この間、高速増殖炉開発が日本経済にとって死活問題でなかったこと、世界経済のロコモティブとしての日本の成長に関係がなかったことだけは、確かだ。


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