米印原子力協力協定締結のための作業は、いよいよ大詰めを迎えているようです。7月20日にワシントンDCでの4日間の会合後出された米印共同ステートメントは、「話し合いは、建設的でポジティブなものだった。・・・我々は、この問題を、最終的検討のために、我々の政府に委ねることになる。」と述べています。インドのマスコミは、インド側の要求に沿って交渉がまとまったと報じています。
5月14日に米国の14人の専門家が米国の上下両院の議員に対し出した書簡は、ブッシュ政権が昨年12月の米印原子力協力法の制限を無視してインドに譲歩することを許さないように訴えています。協力法は、そもそもNPT未加盟国インドとの原子力協力を認めるという例外措置を許す法律です。その法律の最低限の制限さえをも無視すれば、それは「インドの核兵器製造能力の増大、米国の拡散防止努力の信頼性に対するさらなるダメージ」をもたらすことになると書簡は警告しています。
読売新聞(7月22日)は、「22日付のインド各紙は、米国とインド両政府がワシントンで今月17〜20日に行った、原子力協力協定をめぐる高官協議で実質合意に達したと報じた。・・・ インドに使用済み核燃料の再処理を行う権利を認めるほか、インドに核実験再開の余地を与えるなど、米側の譲歩が目立つ内容とされる。合意内容は、両国政府と議会の承認を経て、8月末か9月にも予定されるライス米国務長官の訪印の際に正式発表されるという。・・・米印がこの線で実質合意した場合、8月下旬の安倍首相訪印時にインド側が支持表明を迫る可能性もある。」と報じています。
20日の「合意」は、ライス国務長官やチェイニー副大統領もインド側代表と会う中、予定を1日延ばしての交渉で得られたものです。「合意」の内容は公表されておらず不明ですが、最終決定、両国議会の判断、日本も入っている原子力供給国グループ(NSG)の対応など目の離せない事態となってきています。
以下、これまでの経緯と、協定成立に必要な措置、米印交渉の争点、交渉と米国の法律(米印原子力協力法・原子力法)との関係などをまとめました。
経緯
- 1950年代
- 米国、「平和のための原子」政策の下にインドの原子力開発に協力
- 1969年
- 米国GE社製原発2基タラプールで運転開始
- 1970年
- 核拡散防止条約(NPT)発効
- 1974年
- インド核実験(米国提供の重水を利用したサイラス炉で作ったプルトニウムを利用)の結果、米印協力停止
- 2005年7月18日
- 米印共同声明で原子力協力再開について基本合意 インドは民生用と軍事用の核施設を分離し、米国は前者に協力するとの内容
- 2006年3月2日
- 米印共同声明でインドの分離計画を承諾
- 2006年12月
- 米印原子力協力再開を認める法案「ヘンリー・ハイド米印平和利用原子力協力法」 (pdf)が議会を通過
米国が現在インドと進めている原子力協力協定交渉は、米国原子力法セクション123「外国との協力」 (pdf) Volume 1, Page 1−52〜56 に基づくもの。
協定の完全な成立までに必要な措置
20日の「合意」に基づく最終作業と両国首脳の決定
2007年7月20日の「インド米国共同プレス・ステートメント」(在米インド大使館)日本語訳
英語は、半ページにも満たないもので、「合意」内容は不明。
ワシントンDC
2007年7月20日米国のニコラス・バーンズ国務次官とインドのシブシャンカール・メノン外務次官は、ワシントンにおいて、米印民生用原子力協力イニシアチブに関して4日間(2007年7月17−20日)の会合を開いた。これには、原子力平和利用協力のための二国間協定(123協定)についての話し合いも含まれる。
さらに、M・K・ナラヤナン・インド国家安全保障顧問とメノン外務次官は、チェイニー副大統領、ライス長官、ゲイツ長官、それにステファン・P・ハドレー大統領補佐官(国家安全保障問題担当)とも会った。
話し合いは、建設的でポジティブなものだった。バーンズ国務次官とメノン外務次官は、123協定に関して未解決となっている問題に関して得られた相当の進展について喜んでいる。我々は、この問題を、最終的検討のために、我々の政府に委ねることになる。
米国とインドはともに、これらの残っているステップの完結とこの歴史的イニシアチブの完成を待ち望んでいる。
参考:
- 米印が原子力協定で合意、核実験再開に余地…インド各紙 読売新聞 7月22日
- 米印、原子力協力協定で大筋合意か 共同 7月22日
- 米印原子力協力、実施協定成立へ AFP 7月22日
両国議会の対応
米国ヘンリー・ハイド法は、最終的な協定内容が確定した段階で、再度議会の承認を得ることを義務づけている。
インドでは、議会の承認は必要とされていないが、議会が決議を出して協定を拒否する可能性もある。インド側が譲歩しすぎていると左右両派が判断した場合にその可能性がでる。
米国下院超党派拡散問題タスクフォース共同議長のエドワード・マーキー議員(民主党−マサチューセッツ州)は、米印原子力協力基本合意2周年に当たる7月18日に発表した声明の中で次のように警告している。
「驚くほど寛大な2006年ハイド法の制限が厳しすぎるという考えは、ばかげている。もしブッシュ大統領がハイド法の文言と精神に違反する協定を交渉でまとめた場合、議会での承認を深刻な危険にさらすことになる。」と警告している。
参考:ハイド法と原子力協力協定の関係の詳細
- 米国専門家ら、米国議員へ呼びかけ──インドとの原子力協力の制限を 2007年5月14日
インドとIAEAの保障措置協定交渉
原子力供給国グループ(NSG)による米印合意の承認または不承認
原子力供給国グループ(NSG)のウェッブサイトの「歴史」の項は冒頭で次のように記している。
NSGは、1974年の非核兵器国による核爆発装置の爆発の後設立された。この爆発は、平和利用目的で移転された核技術が悪用され得ることを示すものだった。
インドのような例を防ぐために米国が主導して作ったNSGがインドを例外として──しかも、インド側の主張に沿ったかたちで──認めるかどうか。主要国の一つである日本の態度が注目される。
米印間の争点
両国は、次のような問題を巡って対立していたと報じられている。米側の主張は、ヘンリー・ハイド法及び原子力法の規定から来る。
核実験
米国側は、インドが核実験を行った場合、協力を停止するとともに、その時点で既に提供している燃料の回収の権利を定めるよう主張。
米国原子力法セクション123(a)4 (pdf) Volume 1, Page 1−52 の規定による。
インド側は、これを拒否。あくまでも核実験をする権利を主張。実験を行った際も、燃料を提供し続けることを要求。
再処理
インド側は、長期的な一括的再処理事前同意と再処理技術・機器の提供を要求。
米国はこれに難色。
燃料の永久的供給保障
インド側は協力が終わっても燃料供給を保証するように要求。
民生用施設の保障措置
インドは、燃料供給が途絶えたときには、IAEAの保障措置を停止する「インド限定」保障措置を要求。
そもそも、2006年3月の米印合意で、民生用の原子炉でさえ一部しかIAEAの保障措置下に置かないで良いことになっている。
民生用・軍事用施設分離案
- 外国製 原発
- 6基 これらはもともと保障措置下
- 国産原発
- 8基
- 計
- 14基
- 国産原発
- 8基
- 将来の国産炉
- ??
- 軍事用生産炉
- 高速増殖炉
- 再処理工場
- ウラン濃縮
保障措置対象 (2014年までに以下を保障措置下に置く)
保障措置外
*分離案の詳細は、「3月2日に合意された分離計画の中身」 核情報
外国燃料専用再処理施設案
インドは、6月6−8日のハイリゲンダム(ドイツ)主要国首脳会議(G8サミット)の直前に、外国から提供されたウラン燃料の使用によって発生する使用済燃料を再処理するための専用施設を建設すると言う方法を提案
目的:
米国起源の核燃料の再処理を軍事用再処理施設から分離し、そこで得られるプルトニウムを高速増殖炉で使用する/米国の再処理技術・機器のインドへの移転を容易にする。
米印問題に詳しいダリル・キンボール「米国軍備管理軍縮協会(ACA)」事務局長は、これでは解決にならないと述べる。
「この特異なインドの提案に米国側が合意したとしても、米国の技術・物質が、保障措置の対象となっていないインドの核兵器関連プルトニウム再処理活動に直接あるいは間接に使われないよう保障するのはほとんど不可能である。これは、一つには、その再処理施設や増殖炉を永続的な施設別の保障措置下に置いていないからである。そして、このような専用施設は、インドの限りある燃料を核兵器用に使えるようにする。」
(軍縮NGO関係者用メーリングリスト)
キンボールは、ブッシュ大統領が2004年2月11日の国防大学で演説の中で、
「濃縮と再処理は、原子力を平和目的のために活用しようとしている国々にとって必要ではない」
と述べていることに注意を促している。
参考
- 民生・軍事施設分離計画の中身 核情報
- インドの原子力発電所 原子力百科事典ATOMICA
- 原子力供給国グループ 外務省
- 米国原子力法 (pdf)
- 日米原子力協力協定 (pdf) 1988年7月2日
- 日・IAEA保障措置協定 (pdf) 1977年12月2日
- 日・IAEA保障措置協定追加議定書 (pdf) 1999年12月16日
- 関連条約・協定集 文部科学省